今日の猪苗代湖
とても良いお天気だったので、ちょっと猪苗代湖まで行ってきました。
駐車場から道路を横断して志田浜へ。
木々の間に、白い雲をかぶっている磐梯山。
高さは1819m。
磐梯山は宝の山よ、笹に黄金がなりさがる。
と、民謡・会津磐梯山に唄われています。米どころ会津のご飯をいっぱい食う……1819。
語呂合わせで、高さを覚えました。また磐梯山はおんな山と言われています。18、19で二十歳にならぬ、前に猪苗代湖の鏡、後ろには桧原湖の鏡を持っていて、とてもオシャレな山なのだと、昔、遠足のバスガイドさんが話していました。壮大な話です。
志田浜。夏休みは、子供会や家族連れが湖水浴に訪れて賑わいます。冬は真っ白な雪に閉ざされますが、北国から飛来した白鳥がたくさんいます。
こちらは長浜。白鳥の形をした遊覧船、はくちょう丸がいます。これから観光客を乗せて猪苗代湖を遊覧します。もう1隻、亀の形をした遊覧船、かめ丸がいますが、いまは遊覧に出ていて写っていません。
秋の紅葉が見事な頃、そのかめ丸に乗ったことがあります。遠来の友と一緒に、まるで鏡のように澄んだ湖面に映った錦の山々を眺めては、昔ばなしに花を咲かせました。
今日は風があったので、波がたっています。空の青を映してどこまでも蒼く広がる猪苗代湖。
四季折々の風情が、ふるさとの懐かしさと相まって、いつまでも心に残る景色です。
いつか機会がありましたら、是非、磐梯朝日国立公園へおいでくださいませ。足を延ばせば、白虎隊で有名な会津、ラーメンと蔵の町喜多方、江戸時代に宿場町として栄えた大内宿、そして鶴ヶ城があります。
遊びさ、こらんしょ。
断捨離
ここまで足の踏み場もないほどモノが溢れかえっていると、壮観である。
以前から、やましたひでこさんの断捨離の書籍は拝読していた。
部屋は心を映し出す鏡。
私の心の中は、たしかにグチャグチャだ。あれもこれも、やらなければならないことが山積みで、優先順位もなかなか決められずに、あちこち手をつけては中途半端なことになっている。
どれかひとつに焦点をあてて、100㌫そこへ力を集中させればきっとサクッと片付くだろうし、完成度も高いはず。
優先順位を決めるには、何をするかということ以上に、何をしないかがとても重要である。
何をとっておくか、何を処分するか。
その判断能力を養う意味でも、断捨離することは大変有効な手段だと考えている。
いる……が、とかく3日と続かないのは、私と相性が合わないのだろう。
ノウハウコレクターになっていると気付いたのは、断捨離をはじめとした片付け関連の書籍だけで数えてみたら、20冊をゆうに越えていたからである。
買ってきてそれでやったつもりになって満足して、でも現実はちっとも片付いていない。で、また新しい片付け本を見つけては手に取り今度こそはとレジに向かう。
なるほど。たしかにノウハウコレクターである。読んで実行しなければ意味なし!
頭でっかちになってますます乱雑になっていく部屋にイヤ気がさしてくる。
ひとつでも弾みがつけば、トントンと片付くのだ。片付けスイッチが入るのを待っていては、いつまでも片付かない。
頭の中を、断捨離という言葉だけがぐるぐるめぐる。
まずは目の前のテーブルを片付けよう。
ふと、思う。
これだけ片付け本が発行され、雑誌にも片付け特集が組まれ、ちまたでは断捨離セミナーや、お片付け教室なるものが流行っているのは、何故か。
現代は片付けベタさんが多いのではないか?
それは、何故か?
居住空間に対してモノを持ちすぎているのではないか?
そう、自分が管理できる量をはるかに越えてしまっているから、片付かないのだ。
で、これはダイエットともつながる話になるのだが、
千里の道も一歩から。
ローマは一日にして成らず。
少しずつ飽きずに続けていかなければ、効果は出ないのと同時に、止めればリバウンドしてもっとひどい状態に陥っていくのだ。
いらないモノが溢れているのは、家に贅肉が付いているのと同じ状態だと考えられる。
お家のダイエット、進めなければ‼
すっきりした体、すっきりしたお家。
憧れである。
歌
耳に懐かしいメロディが、ラジオから流れてくる。
昔の歌はわかりやすいし、歌詞に、メロディに、物語があるし、なにより「聴かせて」くれる歌が多かったように感じる。
今の歌でもいいものはあるが、若いときに耳に馴染んだ歌は、いくつ歳を重ねてもいい。
そう、聴くのはいいの。
会社の飲み会などで、二次会にカラオケへ行くことがある。選曲するのは、古い歌ばかり。それしか歌えないからである。
新しく入った同僚が、ことさらに歌が上手で、ますます歌いにくくなっている。それを無理矢理歌わせようとするのは、モラハラにならないか?と思う昨今である。
飲めない酒を無理矢理飲ませれば、アルハラ、と言われるようになって久しいのに、
カラオケでは、ひとり最低は一曲!と音痴で歌いたくないのに、無理強いされる。
だったら行かなければ良いだけなのであるが、そのあとのつきあいを考えると行かざるをえないのである。
社内の親睦と融和を図る、という趣旨のもと
飲めない酒を無理に飲んで、歌いたくない歌を嫌々歌う。
こんなものなのかな。
酒は逃れられても、カラオケは逃れられない。
カラオケ・ハラスメントだー‼
と、心の中で叫びながら、古い別れ歌をつぶやくように歌って、ノルマを果たしている。
無理強いされるといえば、デュエットだ。
歌えなくはないが、歌う時に、腰に手を回したり肩を抱こうとしたりするのは、今度はセクハラじゃないか?と思うのだ。
酒が入って気持ちよく酔っぱらっている先輩同僚や、上司には申し訳ないと思うが、体に触れてほしくないのだ。
なので、最近は、飲み会そのものを不参加にすることが多い。
体調不良につき、残念ですが参加できないです。
これ最強。
歌は楽しく歌いたいし、聴きたいし、酒も自分のペースで楽しく飲みたいものだと思う。
なによりも、一緒に飲んだり歌ったりするのは、好きな人たちがいい。
大人げないと言われようが、貴重な時間とお金を使って、好きでもない人たちと我慢をしつつ過ごすのは、命の浪費といっても過言ではないと思うのだ。
会社勤めをしているうちは、しょうがないのかな。社会人としてはそれは許されないワガママになるんだろうか。
共感してくれる人もいるんじゃないかと、ひそかに期待を持っている。
父は三味線のお師匠さん
すでに30年以上、三味線をひいている。
お弟子さんもいる。
その父がいま興味を持っているのは
中国の絃楽器、二胡。
その音色に魅せられたそうな。
ただ弾きたくても楽器がなかった。だから三味線のお師匠さんをしながらその夢をあたためてきたらしい。
ところがひょんなことから、本場の二胡が手に入ったという。
知人が中国旅行に行ってきて二胡を買ってきていたが、弾けず仕舞いでずっと押し入れの奥にしまっておいた。父の夢を聞いて、それでは良かったらこれを使って、とプレゼントされたという。
長い間、日の目をみなかった二胡。父の手に渡り、その美しい音色を奏でた時には、おお~‼と歓声が上がったそうな。
松脂や線金が古くなっていたことから、父に頼まれてAmazonにて、松脂と、線金を探した。
さすがはAmazon、品揃えが豊富にあるので、なんなく目的の品を見つけ出した。注文を確定すると、父は子どもみたいに嬉しそうに、
いつ来るんだ?
と聞いてきた。早ければ来週には届くみたいだよ、と答えると楽しみだな~とニコニコしていた。
どちらにしようか悩んだ結果、下の画像の二胡専用高級松脂を選んだ。これなら間違いはないべ、ということで。
こちらは一種類だけしかなかったが、欲しかったのはまさにこれ、父が、これだというので、これも注文した。
思っていたよりも早く届いたので、さっそく実家の父に届けた。一週間前後だったように記憶している。父は、二胡の線金を取り換え、新しい松脂を弦にこすりつけて音の調整をした。
鳴らしてみると、なんともいえない良い響きの音が高く低く、二胡の弦から流れでた。
ありがとな。
父のよろこぶ顔をみて、私も嬉しかった。こうして親孝行ができるのも、Amazonのおかげなのだ。
で、今度はパン・フルートがほしいんだが、と言われてまたまたAmazonにて、検索。あるかな~と思ったら、あった!
こういうの?と聞くと、そう、これこれ。
はい、注文しとくね~(о´∀`о)
次は、馬頭琴。生きているうちにいろんな楽器をいじってみたいとのこと。さすがに、馬頭琴は高くて、音源のほうにしてもらった。セーンジャーさんの馬頭琴は、甘く切ない響きから、勇壮で壮大な響きまで幅広く、耳に心地よい。
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父のようにやりたいことをやっているのが、元気で長生きの秘訣のようだ。好きなことを存分にやらせてあげようと思う。苦労ばかりの人生だったから。
Amazonのおかげで、父の夢を叶えることができている。ありがたいことだ。
三角ちまきを作りました!
日曜日の、まだ日も登らぬ早朝、私と娘は熊鈴をつけて、じゃらじゃら鳴らしながら山に入りました。
三角ちまきを作るための、笹取りです。
いい笹がたくさんありました。ふたり合わせて全部で800枚近く取りました。
きれいに洗って水を切ります。笹は用意できました。今度はイグサです。畳屋さんからもらった畳の端切れをほぐして、水に浸します。こうすると丈夫になって切れにくいのです。
一晩、水にうるかしておいたもち米の、水を切ります。
準備は整いました。三角ちまきを作っていきます。一枚目の笹をくるりと漏斗の形にしてもち米を軽く詰め、ふたをして、二枚目の笹でさらにふたをします。そしてイグサで縛っていきます。
三角ちまきを作っている間に、大鍋に湯を沸かします。沸騰したらひとつかみ塩を入れます。そこへ、三角ちまきを入れていきます。
強火のまま沸騰させながら茹でること20分。串を通してみてスッと通れば、出来上がりです。
きなこをつけたり、醤油で食べたり。
わたしは、きなこをつけて食べるのが好きです。全部で385個、できました。もち米は六升使いました。家族はもちろん、親戚やお友だちに送ったりして、とても喜ばれました。
毎年恒例の、梅雨入り前の季節の味です。母から手ほどきを受けて、それを娘にも伝えました。娘は器用なので私よりもきれいに仕上げます。うらやましいなと思います。
伝承の味、また来年も作る予定です。
Mac がやってきた!
それまでずっと、パソコンはデスクトップを使ってきました。
一番最初にパソコンに触ったのは、母が退職金の中から買ってくれたWindowsのデスクトップでした。流行りものが大好きな母は、これからは必要になるだろうから、と言ってインターネットのイの字も知らないのに、話題性だけでポンッと買ってくれたのでした。まだWindowsが売り出されたばかりの頃だったような記憶があります。
いま思うと、母はずいぶん先見の明があったなと思うのです。息子がまだ小学高学年になったばかりで、誰もパソコンのことを知りませんでした。私は取り扱い説明書を見ながらNTTに申し込みしたりプロバイダに申し込みしたり、室内にLANを張り巡らせてパソコンを繋いだり、
パソコンの設定も、もちろん自分で取り扱い説明書を見ながらあーでもないこーでもない、と。いよいよインターネットが開通するというときは、家族全員でパソコンの前に座り、ワクワクしながら立ち上げました。
Windowsのロゴマークが出て、それからIEを開いたときの感動は、忘れようにも忘れられません。
世界と繋がった‼
家族みんなで拍手しました。
あれ!この場面……昔の、初めて日本に白黒テレビが登場して、家族はおろかご近所さんたちも集まってテレビがついたらみんなで拍手喝采した、懐かしの昭和の番組で見た場面とそっくりだわー‼
と、妙な感心をしながら、次々とクリックをしていろいろなものをみんなで見ました。でも、すぐに切りました。まだプロバイダに今のような定額制プランがなかったので、従量料金で使用料が高くなるのが怖かったからです。
パソコンに一番夢中になったのは、私でした。まだインターネット黎明期のこと、夜23時~朝8時にテレホーダイという定額の時間があり、その時間は、パソコンに張りつくようにして行きつけのオープンチャットサイトでいろんな人たちとお話しをしていました。
キーの打ち方は自己流で、両手の人差し指と親指だけで打つので、チャットのスピードについていけなかったです。流れが早くなると、もっぱらROM専でした。ハンドルネームだけで、性別も肩書きもなんも関係なく、そのチャットの中だけで心地よい雰囲気が醸成されていました。
そのときに知り合って親しく話すようになった友人たちとは、いまも付き合いが続いています。背景やプロフィールを知らずに、無謀といえば無謀ですが、そのかわりに書き込まれる言葉から大丈夫とか危ないとか判断して
いました。第六感、でしたね。ほぼ、当たっています。
さて、母に買ってもらったパソコンは、息子に譲ることになりました。中学校に入学した時に、パソコンクラブに入った息子が必要になったからです。私以上にのめり込みましたね。パソコンのいろはからタイピングまで学校で基本を教わり、どんどん知識を吸収して、しまいには自作のパソコンまでつくりあげるようになりました。
もう、私の出る幕はありません。
娘も学校でパソコンを教わり、私以上にいじれるようになっていました。
息子は情報技術の道に進み、現在はそれを生業にしています。娘もパソコン無しでは暮らせないようです。
windowsXPのサポートが終了したあと、しばらくパソコンから離れていた私が、また必要に迫られて中古のパソコンwindows7を購入したのは、昨年の暮れでした。デスクトップです。サクサク動いて感動です。
こんどは、外でもインターネットを使う必要が出てきて、ノートパソコンを新品で購入しました。パソコンに詳しい人に相談して、Macbookairを選びました。初のMacデビューです。
薄くて軽くて、バッテリーの持ちは12時間もあって、画面はきれい、使いやすくて便利です。持ち歩くのが苦になりません。
我が家にMacがやってまいりました‼
いまだに自己流のタイピングをしているので、ゆっくりタッチタイピングの練習をしています。ノートパソコンのケースは、Amazonで手頃なのを見つけて購入しました。ピンク色の素敵な保護ケースです。
防水性があり、少々の雨でも大丈夫です。
保護ケースは多々ありますが、たまたま見つけたこのケースは、まるでオーダーメイドみたいにピッタリです。いつもAmazonでの買い物はハズレ無しで安心です。
我が家のインターネットは、母の流行りもの好きから始まった、と言っても過言ではありません。あのとき、買ってもらって良かったです!
私も、パソコンを使って、インターネットで仕事をするようになるとは思っていなかったから、ほんと人生なにがあるかわからないですね。
なにがあるかわからないから、面白い♪
楽しんで生きていこうと思います。
いま、どうしてますか?
今週のお題「あの人へラブレター」
あれは高校3年生の時でした。教育実習生として貴方はやってきましたね。覚えていますか?剣道場の床に、クラス全員と担任の先生と教育実習生の貴方、みんなで、まあるく座って各自が自己紹介をしてプチ歓迎会らしきことをやったとき、貴方は歌を歌いましたね。とても通る声で素敵な歌声でした。
私の番になったので、自己紹介をして、私も歌を歌いました。当時はフォークソング全盛期で、でも、私は古城を朗々と歌い上げました。ずっと貴方は私を見ていて、私も貴方をずっと見ていました。お互いの視線が絡まりあったような気がしました。
気のせいではなかったことに、間もなく気づきました。教育実習の授業中も、ふと気づくと貴方と目が合いました。休み時間には、勉強やプライベートなことをいろいろ質問したりして、急速に親しくなっていきました。
学校に来ると貴方に会える、そう思うだけで登校するのが楽しみになりました。いつしか一緒に帰るようになりましたね。私の家と貴方が電車に乗る駅の方向が同じだったから、自然と待ち合わせをしていろいろお話ししながら帰りました。
帰る途中に小さな公園があって、いつもそこでみち草をしてたくさん、たくさん、お話しをしましたね。まるで恋人同士みたいに、手をつないで駅へ向かったこと、今でも甘酸っぱく思い出します。
たまたま車で通りがかった父に、ふたりが手をつないで歩いているところを見られていました。その夜、父に、彼氏か?と問われて、教育実習生だよ~、と答えたらあんまり深入りするなよ、と言われたんですよ。
このままずっと楽しい時間が永遠に続くような錯覚に陥っていたのを、ハッと現実に引き戻した父の一言でした。
それから私は、貴方から少し距離を置くようになりました。
そう、貴方は教育実習生。もうすぐ東京の大学に戻る日が来る。東京には付き合っている彼女がいるって言ってたから、なおさら、離れなければ、と。
でも、そんな私の気持ちの変化に気づかない貴方は、いつも通り待ち合わせていた校門にいました。私は校舎の裏手にある塀を乗り越えて、貴方に会わないように違う道を帰りました。
翌日、貴方は休み時間に私を廊下に呼び出して、どうして昨日は一緒に帰らなかったの?と問いましたね。今日は一緒に帰ろう、待っているからね。そう言って白い歯をみせて貴方は笑いかけてきました。
私は、揺れ動く心に、自分ではどうしようもない押さえきれない思いに気づいてうろたえていました。
一緒に、帰りたい。
その頃になると、同級生たちも私たちのことに気づいていました。格好のうわさ話になっていました。耳に入れてくれるお節介な友人がいたのです。
貴方も、指導の先生から注意を受けたことでしょう。
離れなくちゃ、と思えば思うほど気持ちが貴方に向いてしまって、だからなおさら距離を置くようになりました。
明日は実習最後の日というとき、貴方は私のところに来て、
明日は君のために授業をするよ。
教室の中でそう言いましたね。同級生たちはビックリして、私もビックリして、
でも、すごく嬉しかった!
本当に、私だけのための授業でした。貴方は授業時間いっぱい、私だけを見つめていましたね。同級生たちがざわざわするのもおかまいなく、貴方と私、見つめあっていました。
帰りの時間、貴方はいつも通りに校門で待っていました。ずっと避けてきた私も、今日が最後だからと思って貴方のもとへ行きました。
一緒に帰ってくれる?
貴方の問いに、コクンと頷いて一緒に歩き始めました。お互いに黙ったままでした。
駅に近づいて、だんだん歩みが遅くなり、ついに駅に着いたときには、電車が発車する10数分前でした。私は駅舎の外の壁に背をもたれかけ、貴方は真正面に立って壁に手をついて…今でいう、壁ドンの体勢でしたね。
東京の彼女とは別れる、付き合ってほしい。
そう言った貴方に、私は
彼女、泣くよ?待っているんでしょ。
ごめんなさい、付き合えない‼
そう答えてかがみこみ、貴方の腕からするりと抜けました。貴方は振り返り壁に背をつけて泣きそうな表情を浮かべましたね。しばらく黙ったまま見つめあっていると駅のアナウンスが聞こえてきました。
じゃ、最後に握手だけ、してくれる?
うん。
そっと貴方の手を握り、そして
さようなら。幸せに!
そう言って手を離しました。
貴方は声にならない声で
さようなら、の形に唇を動かすと、
改札に走っていきました。
その姿を、去っていく貴方の背中を見つめながら、落ちそうになる涙をぬぐいました。
恋、だったのです。はかない恋でした。自分の手で幕を閉じました。
あれから数十年、いま、貴方はどうしているでしょうか。もう定年を迎える年頃ですよね。
お元気でいらっしゃるといいのですが。
私、貴方が大好きでした!